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2009年10月26日
景気の浮き沈みを肌で感じる
偉そうな記事をいくつも書いてきましたが、誤解があると困るので、ここで改めて書いておきます。
私は別に市場を跋扈してきた百戦錬磨の強者ではなく、ただの小市民です。

私が株式投資をはじめたのは、ホームページ冒頭にもあるとおり、2002年秋のことでした。
半年後の2003年春に、日経225が7600円の大底をつける頃で、社会はまさにITバブルの総清算をさせられている頃でした。
とはいえ当時の私は、フリーランスとはいえニートに毛が生えたようなもので、貧しい生活を送りながら、呑みニケーションに精を出して「お仕事くださーい」なんて方々に愚痴を漏らしていたものです。
投資に興味を持ったのも、言うなれば暇を持て余したというよりほかなく、潤沢とは言えないまでも小博打を打てるほどの余剰資金がありました。

それを考えると、経済的には今のほうがよっぽど逼迫しています(;´Д`)
今年は月々馬鹿にできないほどの固定費が確実に出て行く中、収入が僅かなコミッション(顧客と最低額のマージンを結ぶ契約…というか口約束)だけの生活も続きました。
肝心の余剰資金もジャスダックの零細(割安)企業の株券に化けていて、いよいよ窮したら騙し騙し叩き売るしか無いという状況です。

それでも悲鳴を上げずに配当を待ちながら粘っているわけですから、我ながら随分腹黒く図太くなったなぁと思います。
もちろん妻は気が気でないようですが…


…っと。
今晩はそうした私のショッパイ武勇伝の話ではなくて。
自営業、フリーランスとして、サラリーマンの皆さんが体験することがあまり無いであろう、仕事で感じる景況感の話について書いてみたいと思います。

先にも書きましたが、私が景況感を意識しながら仕事に向き合ったのは、株式投資をはじめた2002年秋以降の話なので、そのへん割り引いてお考えください。
また記憶もあやふやですから、当時の売上帳とにらめっこしながら書きます、不正確な点は御了承ください。

2003年の春は象徴的な年でした。もう受託では食いつなげないので、諦めて薄給でも定職を探そうかと考えていた矢先、取引先の一社がパンクして、技術部門のスタッフが全員移籍(実質解雇)してしまい、保守のおもりがまわってきました。
当初こそ「割に合わない酷い仕事」と思っていましたが、この仕事に地道に取り組むことそのものが、私のフリーランスとしての道を繋ぐことになったばかりか、足りない辛抱強さを鍛える大きな案件となりました。

2004年春には、ITバブル崩壊を受けて沈黙を守っていた顧客が早くも攻めに転じていました。それも成果の見えないところ、既存インフラの強化に舵をとったのです。
私たちも仕事をいただけること自体が貴重でしたから、丁寧な仕事を心かげました。もちろん時間の経過と共に陳腐化するのがこの業界の宿命なのですが、今でも(なんとか)通用する成果だというのは、今思うとそんな時代背景があったからだと思います。

2005年春は、公共事業の孫受けのような仕事がまわってくるようになりました。
某区役所の担当次長?に、名刺も受け取らないような横柄な態度で接されたのが大変印象深く思っています。
ちなみに一方で、その役所のシステム担当の方の名刺は反古紙(裏紙)でした。
公務員は悪い人ばかりではないと今でも信じていますが、公務という名で天に唾し税金を喰い潰す輩は確実に存在すると実感した年でした。
もちろん保身のためにくだらない要求を容赦なく押しつけて、そのために予算がいくら膨らもうとも意に介さないようでした。
公共事業の単価が異様に高い理由は…突き詰めると、我々とマスコミが突き上げるから役人が保身に走るせいで、そのしわ寄せをまともに原価に乗せるとそうなるのだと、つくづく思いました。
無意味に役人を責めるのは止めようと心に誓いました(゚∀゚)

2005年冬には、普通にシステム開発をしたいという案件で、私もやりがいに満ちていた頃だと思います。
新しい技術に意欲的に取り組めたのは、わずかこのときくらいでした(;^_^A

2006年春は、大きな案件が続きました。
そのときは意識していませんでしたが、既にバブルの兆候を見せていたのだと思います。
手元に余剰資金が出だして、企業が資金を新規投資に使いたいと思い始めた頃なのではないでしょうか。
このあたりから、採算性を考慮しているのか怪しい案件が目立ち始めました。
とにかくカネを出して、なにかやったことを見せてやろうというような仕事のスタンスになりました。
一部の顧客と揉めだしたのは、この頃の案件からです。
それでも見合う以上の報酬が出ましたので、カネが出るなら文句を言う筋合いもあるまいと従っていました。
いつまでも続かないだろうとは思っていましたけど。

2007年、もう既におかしな顧客、おかしな案件ばかりでした。
もう人の睡眠時間も考えないような、無茶な日程、無茶な企画、無謀な技術導入のオンパレード。
あんまり大きな声では言えないけど案件2本ブッチしました。
概算見積で200万くらいはありましたけど、あほくさくてとても契約を継続する気になれませんでした。
それでも元請けさんは随分悩んだようでしたけど…
こちとら225先物OPで結構な儲けが出てましたから意に介しませんでした。


そして2008年の初頭に一気に雲行きが怪しいというか、ただでさえ既存顧客との関係が悪くなっていたところへ、
リーマンショックの直撃を喰らいました、、、、、、、


以上、想い出話でした(おわり)




で、終われるかあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
もう一言いわせろやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
(すいません今日少し荒れてます)

今日こんな恥ずかしい話を書いたのは、人生因果応報だとかそんな話ではなくて、
人間が、いかに周囲の環境に振り回されやすいかという話をしたかったのです、、、、、

相場と向き合うようになった今。
どうしてあのとき良い顧客と出会えたのか。
どうしてあのときは悪い顧客ばかりだったのか。
景況感と無縁だったとは思えません。

2003年当時に受託した顧客は、報酬は決して良いとは言えなかったけれども、私たち従業者に大変な敬意を払ってくださいました。
2007年当時の顧客は、まさにもう全く逆で、カネさえ払えば何でもやるやろうという雰囲気がアリアリと見てとれました。

不思議なもので、今のような不況期こそ、札束で頬をひっぱたくような態度の顧客が跋扈してもよさそうなものですが、残念ながらそうではなくて、そんな顧客そのものがどこぞへと消えてしまいました、、、、、

うーん、ひょっとしたら私の仕事は虚業のひとつにしか過ぎないのかな…と思ったりもしてしまいます…


ただ滅入る暇も無くなるのが投資の良いところ!!
そうした現実社会の中で感じることすべては、投資の世界で生かせるんです!!
職業人でもあり、消費者でもあり、投資家でもある私は、常に経済と結びついています。
そして知識を駆使し、行動することで、自分の人生はいくらでも変えることができます!!!
いや、、、、できる、、、はず、、、、です、、、、

と、言葉を濁してしまう理由は、、、、ちょっと長くなりすぎましたので、また機会をあらためて。
ちょっとやっぱり、今晩は荒れてますので、、、、
オヤスミナサイm(_ _)m

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